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高畑勲監督作品『かぐや姫の物語』 「姫の犯した罪と罰」とは何か?

2013.12.15 13:10|高畑勲
かぐや姫の物語

■ストーリー『竹林にやって来た翁は、光る不思議な竹に気づき、近づくと小さな女の子が現われた。女の子を連れ帰った翁は、媼とともに自分たちの子として大切に育てる。女の子は村の子どもたちと元気に遊び回り、すくすくと成長。やがて翁は娘を立派な女性に育てようと、都に移り住み、教育することに。そして美しく成長した娘は、かぐや姫と名付けられる。そんな姫の美しさを聞きつけ、5人の求婚者が現われるが…。「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」の巨匠・高畑勲監督が、日本最古の物語文学『竹取物語』を、アニメーションの地平を切り開くべく野心的な映像表現を駆使して鮮やかに描き出す長編ファンタジー・アニメーション!』


高畑勲監督が14年ぶりに手掛けた最新作『かぐや姫の物語』が23日に全国456スクリーンで公開され、土日2日間で動員22万2,822人、興行収入2億8,425万2,550円を記録し、全国映画動員ランキング初登場第1位を獲得しました。そして2週目に入ってからも動員は24万7117人、興収2億6713万0700円の好成績をキープ。前週対比で動員が110%、興収で94.0%と極めて安定した稼働率を見せています。3週目にはやや失速して3位に落ちたものの、公開からの動員数はトータルで93万8892人、興収では11億1386万9000円。観た人の評価も上々で、Yahoo!映画でも5点満点中3.9点を記録するなど、各方面から絶賛されているらしい。

しかしその一方、「絵柄が簡素で手抜きに見える」、「背景が余白だらけでスカスカ」、「137分もの上映時間は長すぎる」、「原作の『竹取物語』そのまんまでサプライズが感じられない」、「”姫の犯した罪と罰”って結局なんだったの?」など、批判的な意見も少なくないようです。果たして『かぐや姫の物語』は傑作なのか?それとも駄作なのか?感想を書きつつ、ちょっと検証してみましたよ。

●アニメーションとしての素晴らしさ

まず、本作を観て真っ先に目に付く特徴が「シンプルな絵柄と淡い色彩」でしょう。登場キャラクターは皆、筆で描かれたような躍動感溢れる線で表現され、水彩画の背景と合わさることで日本絵巻を思わせる「古典絵画のような美しさ」を実現しています。初めて見る虫や草に目を輝かせる姫の仕草の愛らしさ。透明感のある自然描写も美しく、まるで上質な絵本を読んでいるかのよう。特に、姫がすくすくと成長していく前半は、竹から生まれた赤ちゃんが笑い、ハイハイし、立ち上がるという、一瞬一瞬の命の輝きを見事に活写しています。

1枚の「絵」ならともかく、これをアニメーションとして動かしているところが驚異的!なぜなら、従来のアニメーション技法では絶対に有り得ないことをやっているからです。「ラフな線で描かれたキャラクターを動かす」という手法は前作の『ホーホケキョ となりの山田くん』でも実践していましたが、本作は更にその表現を押し進め、線の強弱や太さの違いを強調し、スケッチのような荒々しいペンタッチをそのままアニメーションで再現しているのですよ。しかし、この方法はあまりにも制作側に負担がかかるため、今まで誰も実行する人はいませんでした。

アニメの動きは複数の絵を連続で表示することで「動いているように見せている」わけですが、大勢のアニメーターが共同で絵を描く都合上、効率良く線をトレースするために”クリーンアップ”という工程が欠かせません。原画マンが描いた絵を動画マンが中割する際にラフな線のままだと、どの線を拾えばいいのか判断に迷い、とてつもない手間と時間が掛かってしまうからです(というより現実的にはほぼ不可能)。このため、普通のアニメでは余計な線が全て省略され、フラットで均質な線に統一されているのですよ。

ところが今回、高畑監督の強い要望により、敢えてラフな絵を動かすという難題に挑戦しています。しかし案の定、やってもやっても作業は終わらず、気付けば8年の歳月が経過し、50億円もの巨費が投じられていました。では、なぜ高畑監督はラフなクロッキー風の線にこだわったのでしょうか?以下、インタビュー時の高畑監督の発言より抜粋してみます。


「僕はずっと前から、ざっとラフに描いて、まだ一本の線にまとまっていないクロッキー風のドローイングが動いた時の面白さに注目していました。上手いアニメーターがラフなドローイングを描いて僕にも見せるんですが、”ああいいな!躍動感があって面白い!”と思ったのに、それを一本の線に整理して綺麗な原画として仕上げた途端に、魅力が半減してしまう。そういうことを何度も経験したんです」

「絵というものは、本来非常に生き生きしたものが出せるにもかかわらず、アニメーションにする段階でそれを綺麗で均一な線に整理していって、絵そのものの魅力を削ぎ落してしまうんですよ。でも、線というものは生き生きとしたものを表現する力があるんじゃないかと、非常に強い関心を持っていました。どんどん細かく描き込んで緻密な絵を作り上げていったら現実感が出るのかというと、必ずしもそうではない」

「やたらリアルに描いているように見えても、そこには本物を感じるよりも、”ああ良く描けましたね”という感覚しか受け取れない。それよりも、ラフに描いたものの方が背後にあるはずの本物を感じることが出来るんじゃないのか、と思います。スケッチみたいな絵は、本物を見せていないにもかかわらず、そこに本物を感じることが出来きますよね?僕は”よすが”と言ってるんですが、その”よすが”を通して感じた方が本物だと思えるんですよ」



高畑監督は、『火垂るの墓』や『おもひでぽろぽろ』では写実的な描写にこだわりがあるのかと思われていましたが、『となりの山田くん』では真逆の方向へシフトし、「実はこういう表現をやりたかった」ということが明らかになりました。『かぐや姫の物語』を観ると、近年の”緻密に描き込まれたリアルなアニメ”に対する高畑監督の強烈なアンチテーゼを感じます。まさに「アニメーション表現の新たな地平を切り開いた」と評しても過言ではないでしょう。



●キャラクターの動き

本作のキャラクターはリアルな頭身ではなく、4頭身や5頭身など、マンガチックにデフォルメされた姿で描かれています。にもかかわらず、高畑監督のこだわりでいちいちリアルな動きを要求されてスタッフも大変な苦行を強いられたらしい。例えば、翁が座ったり立ち上がったりする動作も、「マンガ的な動きになってる!」と厳しくチェックされるのですが、本物の人間よりも手足が短いので、なかなかリアルな動きを再現できず非常に苦労したそうです。


●背景美術

本作の背景は、一見すると細部のディテールが甘く、描き残しのような余白も多いことから「未完成品」と勘違いした人がいるかもしれません。しかし、細かく写実的に描き込まれた昨今の時流に逆行するかのような、シンプルで簡略化された余白だらけの背景画は、さながら絵巻物に示される日本画の様式美を思わせます。彩色は通常のポスターカラーではなく、透明水彩の絵の具で描かれていますが、そういう手法もアニメではほとんど前例がありません(重ね塗りが出来ないため、失敗したら最初から全部描き直すなど、大変な手間が掛かったという)。

今回、美術監督を務めた男鹿和雄さんは、『となりのトトロ』、『魔女の宅急便』、『おもひでぽろぽろ』、『平成狸合戦ぽんぽこ』、『もののけ姫』、『千と千尋』、『ハウル』、『ポニョ』など、数々のジブリ作品に関わって来た超ベテランです。そんな男鹿さんが最初の打ち合わせの時に細かく描きこんだ背景画を見せたら、高畑監督はその絵を分割し、更にそれぞれを拡大コピーして「これぐらいラフであっさりした感じでやってくれ」と指示したらしい。つまり、『かぐや姫の物語』の背景は、小さく描いた絵を拡大し、わざと線の掠れや筆のタッチの粗さを強調しているのですよ。「大きく描いた絵を縮小して緻密に見せる」という手法は聞いたことがありますが、まさか真逆の方法論を実践していたとは驚きました。



●何が”罪”で”罰”なのか?

本作のキャッチコピーは「姫の犯した罪と罰」となってるんですけど、映画を観てもそのことについて具体的に言及しているシーンはありません。当初の脚本では冒頭場面に「かぐや姫と父王」の会話があったようですが、最終的には本編からカットされてしまいました。このため、観客は「罪と罰」について自分なりに考えるしかないわけです。では、いったい「姫の犯した罪と罰」とは何なのでしょうか?

まず、かぐや姫が暮らしていた月の世界は、争いや貧富の差などが無い完璧な「理想郷」です。しかし、平穏な社会秩序を維持するために徹底した思想管理体制が布かれ、月の住民たちは人間的な欲望や感情表現を一切禁じられていました。そして、純潔で清浄な月世界にとって、争いや欲望にまみれた人間界(地球)は穢れ(けがれ)た場所としてダブー視されていたのです。

ところがある日、かぐや姫は「地球に追放され再び月に戻ってきた天女」と出会い、彼女から地球の話を聞いてしまいました。この天女は”羽衣伝説”の天女で、月に帰ってくる時に地球で暮らしていた頃の記憶は消されてしまったものの、なぜか”わらべ唄”の記憶だけが残っていて、姫はその唄を教えてもらいます。それと同時に、地球には鮮やかな色彩があるとか、生命に満ち溢れているとか、僅かな記憶の断片から地球の情報を知り、好奇心をかき立てられますが、それこそが”姫の犯した罪”だったのです。つまり、月の世界では”穢れた地球に憧れを抱く”など、決して許されない行為だったのですよ。

こうして地球に追放されたかぐや姫は、最初は”月には無い地球の素晴らしさ”に触れて喜ぶものの、やがて人間界の穢れや醜い欲望などを知り、とうとう「ここには居たくない」と願ってしまいました。その”願い”を受信した月世界は姫を迎えにやって来ます。つまり、「穢れた地球に憧れを抱いた罪人の思想を矯正するための施設」が地球で、そこに送られることが”罰”だったのです。「思想矯正が完了した」と判断した月世界の住人は姫に羽衣を被せ、地球での記憶をリセットしますが、”わらべ唄”に反応したかぐや姫は連れて行かれる途中で地球を振り返り、一筋の涙を流します。

この涙は「確かに人間界は雑多な感情や欲望にまみれているかもしれないが、それでもこの世界は素晴らしい」というかぐや姫の意思の現れであり、「そのような欲望や穢れも含めて現世を肯定しよう」という高畑監督の訴えのような気がしました。エンターテイメントとしては多少難があると言えなくもないんですけど、内容的には極めてクオリティが高く、これだけの表現をアニメーションで成し遂げた功績はやはり認めざるを得ないと思います。

ユリイカ 2013年12月号 特集=高畑勲「かぐや姫の物語」の世界
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