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宮崎駿監督、記者会見で正式に引退を発表!

2013.09.06 21:38|宮崎駿
宮崎駿

9月6日、都内某所で宮崎駿監督の引退発表記者会見が開かれました。それに先立ち、マスコミ各位に以下の文章が配布されたようです。

宮崎駿監督 公式引退の辞全文】

 ぼくは、あと10年は仕事をしたいと考えています。自宅と仕事場を自分で運転して往復できる間は、仕事をつづけたいのです。その目安を一応“あと10年”としました。


 もっと短くなるかもしれませんが、それは寿命が決めることなので、あくまでも目安の10年です。


 ぼくは長編アニメーションを作りたいと願い、作ってきた人間ですが、作品と作品の間がずんずん開いていくのをどうすることもできませんでした。要するにノロマになっていくばかりでした。


 “風立ちぬ”は制作から5年かかっています。次は6年か、7年か…それではスタジオがもちませんし、ぼくの70代は、というより持ち時間は使い果たされてしまいます。


 長編アニメーションではなくとも、やってみたいことや試したいことがいろいろとあります。やらなければと思っていること――例えばジブリ美術館の展示――も課題は山ほどあります。


 これ等は、ほとんどやってもやらなくてもスタジオに迷惑のかかることではないのです。ただ家族には今までと同じような迷惑をかけることにはなりますが。それで、スタジオジブリのプログラムから、ぼくをはずしてもらうことにしました。


 ぼくは自由です。といって、日常の生活は少しも変わらず、毎日同じ道をかようでしょう。土曜日を休めるようになるのが夢ですが、そうなるかは、まぁ、やってみないと判りません。


 ありがとうございました。



というわけで、記者会見の様子を簡単にまとめてみましたよ。



記者会見自体は「上記の”公式引退の辞”に書いてある通りです」と述べただけで、実質的にはほとんどが質疑応答でした。ただ、宮崎さん自身は、「僕は今まで何度も”辞める”といって騒ぎを起こしてきた人間ですので、”どうせまただろう”と思われているかもしれませんが、今回は本気です(笑)」と満面の笑顔で言い切り、その後も終始にこやかな表情で各マスコミからの質問に答えていました。

ある女性記者から、「宮崎監督はこれまで何度も引退発言を繰り返してきましたが、今回は今までと何が違うのでしょうか?」と鋭い質問が飛び出し、思わず苦笑する宮崎さん。そして、「『カリオストロ』の時は4カ月で作ったんです。でも、『風立ちぬ』は5年もかかってしまった。次はおそらく6~7年かかるだろう。7年かかったら僕はもう80歳になってしまう。それはさすがに無理だと思ったんです」と引退の理由を語り、「僕の長編アニメの時代は終わった」と述べました。

また、監修や原作提供などで今後もスタジオジブリに関わっていくかどうかを聞かれ、「一切関わることはありません!」ときっぱり否定。更に「『ナウシカ2』の可能性は?」との質問に対しても、「ありません!」と一蹴していました。そりゃまあ、宮崎さんは作らないだろうし、庵野さんがやるとしてもこの場では言わないでしょ(笑)。会見の映像を良く見ると、「ありません!」と言った直後に隣の鈴木Pに「ないよね?」と小声で確認してるし(笑)。鈴木Pによると、『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』が終わった後、ジブリではもう1本劇場アニメを制作することが決まっているらしい(2014年の夏公開予定)。順当に考えれば吾朗ちゃんが監督するはずだけど、庵野さんが何かを作る可能性も否定できません。新作映画ってもしかして『ナウシカ2』……?

あと意外だったのは、これまでで最も思い入れのある作品について聞かれた時、『ハウルの動く城』を挙げたこと。へ~、『ハウル』なのか~。てっきり『もののけ姫』あたりかと思ってたんだけど。そういえば、押井守監督も『ハウル』が一番好きって言ってたなあ。宮崎監督曰く、「一番トゲのように残っているのは『ハウルの動く城』です。ゲームの世界をドラマにしようとした結果、大変な苦労を強いられた。たぶんスタートが間違っていたと思うが、自分で立てた企画だから仕方がない。僕は児童文学の影響を受けてこの世界に入った。”この世は自分たちが生きるに値するんだ”ということを伝えることが根幹だと思ってやってきました。それはずっと変わっていません」とのこと。

また、今後の活動について聞かれた際、「前からやりたかったことがある。それはアニメーションではありません」と答え、「やれなかったらみっともないから、具体的に何をやるかは言いません(笑)。僕は文化人にはなりたくない。町工場の親父でありたい。だから世間に何かを発信しようとは思わない」と答えています。今後のスタジオジブリについては、「上の重しがなくなるから、若い人たちの声が鈴木プロデューサーに届くのを願っている。それがなかったら鈴木さんがいくら何をやってもダメだろう」と若いスタッフを激励していました。

あえて引退を公表した理由について、宮崎監督自身は「別に引退宣言をしようと思ったわけじゃない」と答えています。「僕は、スタッフに”もう辞めます”と言いました。その結果、鈴木プロデューサーの方から”取材の申し入れがあると思うが、いちいち受けてたら大変ですよ”という話がありまして。じゃあ僕のアトリエでやりましょうかという提案をしたら、ちょっと人数が多くで入りきらないという話になりまして。じゃあスタジオの会議室でと言ったら、そこも難しいって話になって、最終的にこういう形になっちゃったんです(笑)。僕自身はこんな大袈裟なイベントをやる気は、さらさらなかったんですけど」とのこと。

そして、今までのアニメーター人生を振り返る宮崎駿さん。「辛かったのは、スケジュールですね。本当にどの作品も辛かったです。それから僕は、終わりまで分かっている作品は作ったことがないんです。つまり”こうやって映画が収まっていく”という見通しがないまま入る作品ばかりだったので、それは毎回、ものすごく辛かったです。辛かったとしか言いようがないですけど。監督になって良かったと思ったことは一度もありませんが、アニメーターになって良かったと思ったことは何度かあります」

「アニメーターというのは、何でもないカットが描けたとか、うまく風が描けたとか、うまく水の処理ができたとか、光の差し方がうまくいったとか、そういうことで2、3日は幸せになれるんです。短くても2時間くらいは幸せになれるんです。監督は、最後の判決を待たなきゃいけないでしょう?だから、胃に良くないんです(笑)。僕は最後までアニメーターでいようとしましたけど、アニメーターという仕事は一番自分に合った職業だったと思ってます

更に、現在公開中の『風立ちぬ』について、「実は直前になってラストシーンを変更していた」という衝撃の真相が!「『風立ちぬ』の最後については本当に煩悶しました。なぜかというと、”とにかく絵コンテを上げてください!”と製作デスクのサンキチが……今産休で休んでるんですけど、本当に恐ろしい人で(笑)。早く絵コンテを形にしないことにはどうにもならないんで、色々とペンディング事項があるけど、とにかく形にしちゃおうと。追い詰められながら作ったんです」

「でもこれ(最初考えていたラストシーン)はやっぱり駄目だなと。画が描かれてもセリフは変えられますから、その後で、冷静になって仕切り直しをしました。最後の草原は一体どこなんだろうと考えた時、”これは煉獄である”と仮説を立てたんですよね。ということは、カプローニも堀越二郎も、もう亡くなっていてそこ(煉獄)で再会してるんだという風に思ったんです。それで、菜穂子はベアトリーチェだと。だから”こっちに来なさい”と言う。そんなことを言い始めたら自分でこんがらがり始めて、それ(最初考えていたラスト)はやめました。やめたことによってスッキリしたと思います。(ダンテの)「神曲」なんか一生懸命読むからいけないんですよね(笑)」

つまり、『風立ちぬ』の当初のラストシーンは、二郎とカプローニが死んで煉獄に行き、そこへ菜穂子があの世から現れて「こっちに来なさい」と呼んでいるという、非常に恐ろしい内容だったんですね。その絵コンテを庵野秀明が読んで「なんじゃこりゃ」と思ったと(笑)。たしかに「なんじゃこりゃ」なラストシーンですねえ(^_^;)

その『風立ちぬ』の中で「10年力を尽くせ」という言葉が出てきますが、「宮崎監督にとってのこれまでの10年はどうだったか?」との質問に対し、次のように答える宮崎監督。「10年というのは、僕が考えたことではなくて、絵を書く仕事をやると、38歳くらいにだいたい限界がまず来て、そこで死ぬ奴が多いから、気をつけろと僕は自分の絵の先生に言われました。つまり僕は18の時から絵の修業を始めましたので、そういうことをぼんやりと思って、10年ってつい言ったんです。実際に、監督になる前の10年で、アニメーションというのは”世界の秘密を覗き見ることだ”と感じました。風や人の動きや、色々な表情や眼差し、その体の筋肉の動きそのものを皆さんに見せる。世界には秘密がある、と思える仕事なんです。それが分かった途端に、自分の選んだ仕事が奥深くて、やるに値すると思った時期があるんですよね」

「そのうちに演出をやらなきゃいけなくなって、ややこしくなるんですけども、その(アニメーターとしての)10年は、何となく思い出になっています。その時は、自分は本当に一生懸命にやっていた。ま、今言っても仕方が無いことですが。それで、これからの10年に関しては、あっという間に終わるだろうと思っています。美術館作ってもう10年以上経っているんですよ。ついこの間作ったと思っているのに。だから、これからはさらに早いと思います。それが僕の考えです。」

また、庵野さんを主役に起用した理由についても次のように述べていました。「今のタレントさん達のしゃべり方を聞くと、失礼ですが、そのギャップに愕然とします。なんという存在感の無さなんだろうと。庵野もスティーブン・アルパートさんも、存在感だけです(笑)。でもその方が、僕にとっては、今回の映画にピッタリだと思いました。でも、他の人が駄目だとは思わないです。菜穂子をやってくださった方は、みるみるうちに本当に菜穂子になってしまって、ちょっと愕然としました」

こうして一時間半に及ぶ会見の最後、総勢605人のマスコミ関係者を前にして、「こんなにたくさんの方がみえると思いませんでした。本当に長い間お世話になりました。もう二度とこういうことは無いと思いますので(笑)、ありがとうございました」と満面の笑顔で締めくくった宮崎監督。長い間、お疲れさまでした…(´;ω;`)ウッ…

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